文化・芸術

第70回広島県美術会議展に行ってきました

 11月4日~10日まで中区鉄砲町のギャラリーブラックで開催されていた、「広島県美術会議展」を見に行きました。今年で70回目ということです。「あおぎりカイロプラクティック」に絵を提供していただいている岡山市の江草昭治さんから、案内がありました。

 小さな展覧会ですが、これまで「美しい自然、自由と人権を破壊から守ろう・・生活の立場や表現方法に違いはあっても、平和と美と自由を求めて」という主旨で開催されてきたようです。さまざまなタイプの作品がありました

 許可をもらって、江草昭治さんの作品「ある部屋の風景・1」と「ある部屋の風景・2」をカメラに収めました。係りの人の話によると、「硝子絵」だそうです。透明ガラスに絵を描いて、普通の絵とは逆の順序で色彩を重ねるということで、聞くからに難しそうです。

 カメラワークが下手くそですから、絵画写真としては適切とはいえないでしょうが、絵をクリックしてみてください。作品の雰囲気は味わっていただくことができるのではないかと思います。

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中塚 明著 『司馬遼太郎の歴史観』を読んで

 司馬遼太郎氏の『坂の上の雲』を読んだのは、もうかれこれ20年以上前になります。もはや、ぼんやりとした印象しか残っていませんが、確か秋山兄弟が、愛媛県出身ということから親近感をいだいたような・・・。そして、昭和の時代に日本が起こした戦争を鋭く批判する作者の社会的良心に触れたような気がして、感動を覚えた記憶があります。

 ところが、この中塚明氏の『司馬遼太郎の歴史観 その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う』を読むと、司馬氏の戦争批判は昭和時代に限られていたようです。日清戦争・日露戦争までは良かったが、それから後、「あんな時代は日本ではない」と叫びたくなるような時期が、敗戦のときまで続いたと見ていたようです。

 問題は、日清・日露戦争までの日本が、司馬氏が美化するように、「この時代の日本人ほど、国際社会というものに対していじらしい民族は世界史上なかったであろう」といえる国であったかということです。

 中塚氏は、日清戦争が清国への攻撃からではなく、李王朝・景福宮の占領からはじまったこと。それに対して巻き起こった抗日運動=東学農民軍蜂起に対する皆殺し作戦。そして戦争終結後に起こった国王の后を暗殺した閔妃事件と、朝鮮への侵略を、新しく分かった史実などフルに活用して明らかにしています。

 さらに参謀本部による『明治三十七・八年秘密日露戦史』などに基づいて、日露戦争をはじめる前から、朝鮮を日本の支配下におくことを、方針にしていたことを紹介。司馬氏の考えるように、昭和の時代になって突如、帝国主義国としての侵略性が現れたというわけではないことを指摘しています。

 かなり前のことになりますが、司馬遼太郎氏の歴史観に対する同じような主旨の批判論文を読んだ覚えがあります。心に片隅には引っ掛かっていましたが、残念ながら、その内容をあまり定かに理解、記憶していませんでした。今回、中塚氏の本を読んでみて、司馬氏の考え方、歴史の捉え方のどこに問題があったのか、改めてすっきりと胸に落とすことができました。

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広島市立大学の不思議な光景

 子どもの剣道の試合に付き添って、広島市安佐南区にある広島市立大学へ行ってきました。山を切り開いた広大な敷地。そこで不思議な光景に出会いました。いったい、誰の作品なのでしょう。展示しているのか、放置しているのか。広い原っぱに無造作に置かれていてます。遠くから見ると、まるで人が立っているかのように見えます。

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敷居が高いけど勉強になれば御の字 「国語に関する世論調査」

 文化庁が、平成20年度の「国語に関する世論調査」の結果を発表しています。さまざまな角度から、日本語の問題を追究していますが、そのなかの設問と回答に、いくつか興味を惹かれるものがありました。

 まず、「言葉の乱れだと思うか」という設問。「来れる」、「申される」、「花に水をあげる」という言い方が例示されていたようですが、いずれの言い方も、「そういう言い方をしても構わないと思う」という回答が多かったということです。

 個人的な印象としては、「来ることができる」を「来られる」ではなく「来れる」とする言い方、これに類する言い方にはあまり抵抗がありません。しかし、「おっしゃる」「言われる」という意味で「申される」を使う、これは聞きづらい。さらに「花に水をやる」を「花に水をあげる」、これは女性の言い回しとしては、良いかもしれませんが、どうも通常使う言葉としては不自然な感じがします。古いですかね。

 そして、本来とは違う意味で使われることが多い言葉として、「時を分かたず」、「破天荒」、「手をこまねく」、「御の字」、「敷居が高い」をあげて設問していましたが、これが面白い。但し、「敷居が高い」という言葉は、常日頃四方八方に使っていて、よく分かっているつもりですから、これは省いて順次みていきます。

 まず、「手をこまねく」というのは、「何もせずに傍観している」という意味ですが、これはそのとおりでしょう。でも、ほとんど同じ割合で、「準備して待ち構える」と答えています。「時を分かたず」、これは間違えそうです。おそらく、時間帯を分けずに行為などを継続するといった意味合いなのでしょう。本来「いつも」という意味ですが、5倍近い比率で「すぐに」と答えています。

 「破天荒」ですが、これは中国の故事成語にもとづいている言葉ということで、漢字から連想する意味とはかなり違うようです。6割以上の人が「豪快で大胆な様子」と誤解していました。本来は「誰も成しえなかったことをすること」という意味だそうです。「御の字」、これは割と正答率が高いのですが、「一応、納得できる」とする人が半分、正解の「大いに有難い」は4割弱でした。

 勉強になりました。これまで、「破天荒」は大半の人と同じように間違って理解していましたし、「御の字」も意味の理解としてはそんなにはずれてはいませんでしたが、「おんのじ」の「おん」はてっきり「恩」だと思っていました。何となく知っているつもりになっていることでも、改めて具体的に指摘されると、実ははっきりと知らなかったり、間違って理解していることが、結構あるものです。

データソース:『文化庁』 平成20年度「国語に関する世論調査」の結果について
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/yoronchousa/h20/kekka.html#pagetop

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ネジを巻く人間と巻かれる人間

 陳舜臣氏の作品に取り掛かっています。いずれも長編ばかりです。はじめて読むので、『阿片戦争』から、興味をもって読めるかどうか確かめながら、ゆっくりとすすめています。

 まだ、初っ端のところですが、ちょっと気になるところがありました。それは、主人公のひとりと思しき「連維材」が考えていることを、作者が代弁しているところです。

 彼は時代の要求を、全身でうけとめている人間なのだ。彼の行動は、時代の波を原動力とする。しかもまさに疾風怒濤の時代であった。そのエネルギーは底知れぬ威力をひめていた。
 そのうえ、彼自身がそのことを、明確に意識していたのである。これはおそるべき自身をうむ。
 光栄ある先駆者!
 使命感といえるだろう。そのまえには、こどもたちのことも、些細な問題にすぎなかった。
「統分か。・・・・・・あれも囮にしかならぬかつだ」
 統分とおなじ系列の人間を、維材は幾人も頭に思いうかべることができる。
 たとえば、余太玄もその一人だった。道具にしかならぬ男だ。つまり自らのエネルギーをもたず、連維材のような人間の巻くネジで、はじめてうごく。

 「統分」は、連維材の長男。「余太玄」は連維材の食客、中国拳法の使い手です。

 人間というのは、本来、独立していながら相互に依存し、刺激しあって生きていますから、他人の影響を受けたり、あるいは逆に与えたりすることがあるのが自然だと思います。したがって、生きていくエネルギーも、ひとりだけでうみ出すものではないでしょう。

 しかし、ただ、ネジを巻く人間と巻かれる人間というのは、個人のすべての生活態度がはっきりと、いずれかに分けられるということはないにしても、主要な傾向としてふたつの極があるような気がします。

 他人にネジを巻かれて動く人間。みずから課題をつかみ取って切り開くことこうとはせず、外からプッシュされてはじめて動く人間になっていないかどうか。座して何かを待っているのではないか。相変わらず不景気が続く中で、自問自答するこの頃です。

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クジラがクジラなら、ゴジラはゴジラか

 このタイトルでは、同語反復で何のことやら分からないと思いますが、言いたいのは「ジラがクジラなら、ジラはゴジラか」というアクセント(文字)の問題です。中国地方では、鯨のことを「クジラ」と「ク」にアクセントを置くのが一般的だったと思います。ところが最近、このアクセントに変化が生じてきています。

 家族の中でも、「ジラ」と正統に発音するのは私だけで、「クジラ」という言い方が幅を利かせています。「そう言うのなら、『ジラ』は『ゴジラ』と言うべき」と反論するのですが、あまり相手にされず、こちらもときどき、不覚にも「クジラ」と言ってしまう始末です。おそらくテレビなどによる「東京言葉」の影響でしょう。

 ところで最近、ニュースなどで、アナウンサーの話す単語のアクセントが平板化していて、耳につくことがあります。例えば、このたびの新型インフルエンザに関する報道でも、その警告段階を示す「フェーズ」という言葉。原語は「Phase」ですから、本来なら「フェィズ」と言うべきではないかと思いますが、ほとんどのアナウンサーはアクセントを付けずに「フェーズ」と言っているようです。

 アクセントの平板化について、「国立国語研究所」のホームページに面白い解説http://www.kokken.go.jp/kanko/kokken_mado_mt/09/04/
があったので、引用してみます。

平板化はなぜ起こるのか
 東京の言葉を中心に,アクセントの平板化は大きな流れとなって進行しています。それでは、このような変化はなぜ起こるのでしょうか。難しい問題ですが、まず考えられるのは、記憶の負担や発音の労力を軽減して、「コスト削減」あるいは「省エネ」で行こうということです。起伏式の場合、個々の単語ごとに下がり目の位置を覚えなければなりませんが、平板式はその必要がありません。また、下がり目が無ければ、発音の労力もその分だけ減って楽になるということでしょう。

平板化アクセントの印象は
 ところで、「サーファー」「モデル」「バイク」「ビデオ」といった外来語のアクセントの平板化については、「専門家アクセント」という面白い指摘があります。平板化がいち早く起こるのが、その単語を普段からよく使う人たちの間であり、ある種の単語のアクセントを平板化することが、その分野によく通じていることの目印になるというのです。また,例えば「バイク」を平板式で発音する人たちの間には、仲間意識が育つことにもなるといいます。
 起伏式アクセントは、平板式に比べて確かに際立って聞こえます。それを平板化して滑らかに発音すれば,どこか特別扱いを解除したような気分になるのでしょう。ある種の単語を発音の面でも自明のようにさらりと扱うことが、自分が専門家であるとアピールすることにつながる、そんな意識が働いているのかもしれません。

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三滝寺の個性的な石仏たち

 春の三滝山に登りました。少しハイペースだったためか、下山するころには左膝と右大腿部にちょっとした痛みが・・・。結構ハードでしたが、ウグイスの声を聞きながら、さわやかな新緑に触れることができました。

 登山道の入り口と出口は、三滝寺を通るコースなので、境内を通る道のそばに置かれた数え切れないほどの石仏を見ることができます。それぞれ個性的で、いろんな顔や姿をしています。目に留まったいくつかを写真に。

 横になってゆったりしていたり、眉間にシワをよせていたり、仲良くよりそっていたり。朝ドラの“つばさ”によく似た像もありました。 それぞれいろんな思いを込めて造られ、祀られているのでしょう。写真は撮りませんでしたが、花をそえられている小さな子どものような石仏もありました。

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涙なしには聞けない 『手紙~親愛なる子供たちへ~』

 今朝NHKのニュースで紹介されていた『手紙~親愛なる子供たちへ』。ほんの少しだけの放送でしたが、心を打つものがあったので、早速“youtube”で探してみたところ、全曲バージョンがありました。http://www.youtube.com/watch?v=DNuEUygU1vA

 「千の風になって」と同じように、作者不詳の外国の詩が元になっているようです。その詩に、よく知らない人ですが、角智織さんと樋口了一さんが日本語で訳詞をつけ、樋口了一さんが作曲して、さらに樋口了一さんが歌っています。

 淡々としながらも、リアルな事柄が詠われているので、鼻歌で気軽に口ずさめるような曲ではなく、どちらかといえば少し重みのある内容です。でも、自分の心構えを戒めるために、たまに聞いてみたい曲になりそうです。

 作品へのコメントを読むと、介護したことがある家族や介護職従事者からのメッセージが多い。介護や世話をしていると、お年寄りの失敗に対して、ついつい辛くあたってしまいがちです。そんな人の心に、ふとふり返らせるものがあるようです。

 日本の社会は、これから高齢化がさらに進みます。誰しもいずれ年をとって高齢者として、生きていくことになるわけですが、できるだけ人の世話にならないよう生きていたい。でも、認知症になると、自分を制御することができなくなって、介護される側になるかもしれない。

 そりゃ大きくなるまでという限りがあって、どんどん成長していく育児と違って、限りなく衰えていく過程を介護するのは大変です。確かにきれいごとではすまないでしょう。でも、“give and take” ということではなくて、人間としての出発を助け、育ててくれたことに対する感謝の気持ちを忘れないようにしたい。

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大切にしたい 心の底から人に喜んでもらいたい気持ち

 山本一力氏の作品は、ほとんど江戸時代の庶民の生活を描いたものです。どれを読んでも、ほのぼのとした気持ちになれて、はずれることはないのですが、逆にどの作品を読んでも、あまり強いインパクトを感じない、それほど変わらないような印象をもってしまうという半面を持っています。

 いま、『銀しゃり』という寿司職人を主人公にした作品を読んでいます。これも同じような調子ではあるのですが、山本作品に改めて気がついたことが2つあります。この記事では、ひとつだけ書くことにします。

 それは、主人公の新吉が信頼を寄せている武家、小西秋之助に仕えている下男と下女のふるまいに関することです。主人の秋之助はとても好人物で、ふたりとも尊敬しています。あるとき、秋之助に嬉しいことがあって、ふたりも命令された以上のことをします。何気ないことですが、それは、媚ではなく、仕える人に心から喜んでもらいたいと思ってのことです。

 決して、自分の利益を根底において、そのために相手に尽くすというのではないのです。会社や組織などに勤めると、目上の人にあれこれ気を使うよう指示を受けることがありますが、人から強要される行為というのは本物ではないでしょう。そういったことで、気を使われた人も、当たり前と考えるだけで、心から喜ぶとは思えません。

 江戸時代の庶民の人情といっても、山本氏も想像して書いているのでしょうが、理想社会を描いているのかもしれません。主従関係が軸の封建社会ですが、江戸の町には商品経済が浸透していたことでしょうし、どこまで純粋さが残っていたか疑問です。

 それにしても、現在の社会は、どういう行動をしても何か下心があるかのように考えてしまうようです。テレビのニュースなどでも、ある行為をしたことを報道したとき、必ず「〇〇の狙いがあるものと見られます」というコメントを付け加えるのもそのためかもしれません。

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過去を悔やまず、前へ前へと新しいことに挑戦する

 生きている以上、「しまった」と思うことは次から次へと限りなく出てきます。しかし、それにいつまでも拘泥するか、それとも過去を振り切り気分を変えて、新しいことをめざすかどうかで、気分はずいぶん変わるようです。

 『菜種晴れ』(山本一力著)を呼んでいると、山本作品の主人公によく見られるような、二三(ふみ)の抜きん出た素質と才能に少し気後れしますが、火災や地震などの災害で何度打ちのめされても、そこから立ち上がってくる気力には敬服してしまいます。

 二三の生き方を凝縮した部分を抜粋すると、「後を振り返ってあれこれと思い出すのは、二三の生き方ではなかった。なにが起きても懸命におのれを奮い立たせて、前へ前へと歩んできた。そうすることで、悲しさやつらさをなんとかいやすことができた」ということになると思います。

 確かに、過去の辛い思い出や失敗に、いつまでも悲しみ、悔い悩むより、前を見て生きる方がずっと良いかもしれません。過去の失敗は、教訓にすることはあっても、いつまでも悔い悩んだりすることなく、新しいことに挑戦する。そういう気概が大切ですし、精神衛生上も良いと思います。

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