映画・テレビ

ハチャメチャニセ教師の愉快な話 『School of Rock』

 バンドを首になったロック・ギタリストが、偽って友人の代わりに代用教員として小学校へ着任。そこで、まったく経験のない子供たちにロックを教えることに。やがて子供たちと心をかよわせて、ついにコンテストで演奏。大反響を引き起こします。

 何やら邦画の『スウィング・ガールズ』を思い出しますが、ロックが取り扱われているところが面白い。ロックというと大音響で叫びまくる、騒々しい音楽という印象があって、これまであまり興味を持って聞いたことがありません。

 しかし、この映画の中で、日ごろ思っていることを、ニセ教師のデューイが子供たちに歌わせる(叫ばせる)シーンがあります。学校や親から強制されていることに対する反発やいじめっ子に対する抵抗の言葉を思う存分吐き出すところは、見ていてスカッとします。

 確かに、楽器を大きな音で演奏しながら、普段なかなか言えないことを大声で叫ぶことができたら気持ち良いでしょう。ストレス解消になることは間違いなし。それを耳にする人も、その気持ちが共有できれば、気分が良いかもしれません。そうでなければやっぱり騒音ですか。

 それと、感心したのは、ニセ教師のクセに、子供たちを叱ったりせず、その良いところを見つけて、裏方も含めて演奏の適材適所に着けているところです。しかも頭ごなしでなくて、しっかり話を聞き、ときには励まして・・・。それが自然にできるというのは、やっぱり民主主義が、根付いているんですかね。これからでも、親業として、かくありたいものです。

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あまりにも悲惨な『火垂るの墓』のストーリー

 子どもの宿題につきあって、『火垂るの墓』(2005年 ドラマ版)を「You Tube」で見ました。1回分が約10分間で、16回に分かれています。スペイン語の字幕があったり、画像より少し遅れて声が出たりしますが、フルスクリーンモードにしても十分見ることができます。http://jp.youtube.com/watch?v=qsYGdbLJbgQ&feature=related

 2005年にテレビで見たことがあったかもしれませんが、何度見ても心打たれるストーリーです。それにしても、あまりにも悲惨すぎて、いくら戦争の非常時とはいえ、あんなことが起こり得たのでしょうか。

 冷静に考えてみれば、「地域には隣組などのような相互監視・互助組織があったのに?」とか、少し辻褄が合わないのではと思えるところもありますが、今のように曲がりなりにも基本的人権を保障している憲法さえもなかった時代だったと考えると、あながち誇張されているとも言えないような気がします。

 食べるものは配給制で、戦争末期にはドラマのように具の少ない粥やスイトンをすすっていたという状況。多くの兵士が戦地で死に、都市部の非戦闘員まで空襲で死んだのですから、戦争孤児もたくさんできたことでしょう。

 それに、先の戦争は、「アジア解放」という名目で、日本から、朝鮮、中国、東南アジアなどに攻め入って、2000万人もの殺戮をおこなったと聞いています。兵士の命も鴻毛よりも軽いと言うほど、人間の命を大切にしない時期ですから、子どもの一人や二人が餓死したところで、ひょっとしたらあまり痛みを感じることはなかったのかもしれません。

 『火垂るの墓』の物語そのものには、淡々と戦時中の日常的(とはいっても非日常的)な生活を描いているだけで、あまり強い「反戦」のメッセージはないようです。でも、エンディングテーマがながれる時に、清太と節子の写真とイラクの子どもたちの写真が交互に映し出されますが、その笑顔がとても痛々しく、印象に残ります。

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結構面白かった『鹿男あをによし』

 人間の言葉をしゃべる鹿、狐、鼠。しかも鯰が大地震をおこすなんて、何と荒唐無稽、リアリティのないこと。主人公の小川先生に扮している玉木宏の人気に便乗した、メリハリのないつまらん番組。

 夜10時から放送するような番組じゃなかろう。子どもが見る7時くらいからの時間帯こそ、ふさわしい。番組がはじまって、当分の間そう思っていました。ですから、子どもが見ているのを横目に寝床に入ったりして、まともに見ていませんでした。

 ところが、大和杯での優勝盾をめぐる剣道での攻防戦、堀田イトの活躍が、私の興味に火をつけました。三角縁神獣鏡をめぐる争奪のたたかいも、面白かった。ここは人物描写に、とてもリアリティがあったと思います。特に考古学研究者である小治田教頭の個人的野望。

 物語の中に入り込んでしまって、設定の荒唐無稽さも気にならなくなり、次回を楽しみ待つようになってしまいました。考えてみると小川先生の弱々しさと生真面目さにも、好感が持てたなぁ。ほんわかムードの藤原先生もいいですね。実を言うと、強い意志が見える堀田イトの隠れファンなんです。

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日常生活でよく陥る「はてなの茶碗」現象

 『ちりとてちん』で「はてなの茶碗」という話が出ていました。話の本質は、権威ある人がすることなすことは、本人にとっては何気ないことでも、とんでもない価値があるように勘違いされることがあるということだろうと思います。

 話の中では、実際に何の変哲もない水漏れ茶碗に千両の値段がつくのだそうです。「はてなの茶碗」全体を聞いたことがないので、断言はできませんが・・・。それは落語として、話を面白くするための付けたしでしょう。

 しかし、これは日常生活でもよく体験することではないですか。たとえば、若い頃に何か習い事をしていたとき、先生の一言一句に一喜一憂したことはないですか。コマーシャルで、人気のある俳優や歌手などのスターを使うのも、そういう心理をついた作戦でしょう。

 「あの人が言うのだたら」とか「使ってるのだったら」、「カッコいいから」とか、製品のイメージが良くなることを狙っているようです。「はてなの茶碗」のように、トントン拍子にうまく行けば良いのですが、その製品やサービスのイメージがほんものかどうかは、使ってみればすぐに実証できるのではないでしょうか。 

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「氣力」 諦めない気持ち

 フルスイングの最終回、たまたま都合がついたので、ビデオでななく全国放送の時間に見ることができました。はじめから「泣き」にかかるドラマ展開が、少し気になりましたが、高林先生は最後まで迫力がありましたね。

 最後のホームルームで生徒に放った激励の言葉は、「氣力」でした。「気」ではなく「氣」です。高林先生曰く、「諦めん気持ちこそ、氣力といいたい。9回裏ツーアウト、ランナーなしでも、何点離されていても、諦めない気持ちが氣力じゃ」。

 野球に限らず競技をする場合、いくら諦めずに頑張っても、勝つ方があれば必ず負ける方があります。例外的に、引き分けることもあるでしょうが・・・。高林先生も、結局、すい臓癌に負けて亡くなってしまいます。

 しかし、たとえ負けるにしても、最後まで気を抜かず、諦めずに、智恵と力を尽くして闘えと言いたかったのだと思います。負けたとしても、もうダメだと、途中で諦めて力を抜いてしまうのか、最後まで持てる力を振り絞って挑戦するのかでは、後に残るものが違うでしょう。最後の土壇場での氣力、スポーツマンらしいアドバイスです。

 ただ、人生にあてはめてみると、そう単純ではないような気がします。苦しいときには無理をせず、撤退することが必要なときもあるのではないでしょうか。夢にしても、生きているうちに興味も変わり、能力の限界を知ることもあり、経済的な問題にぶち当たったり、生涯同じ夢を持ち続けられるわけではないでしょう。いろいろ考えさせられますね。

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他人を軽んずることはないだろうか

 「フルスイング」第4回。ようやくビデオで見ることができました。テーマは「キャッチ」でした。それはそれで、涙が出るほど感動的でしたが、もうひとつ、心に残ったことがあります。

 それは、英語の太田先生が登校拒否になって、職員室で「教師不適格者論」が出たときだと思いますが、時任先生が「私もあの人を軽く見ていました」と告白する場面です。

 高林先生は、太田先生の教師としての可能性を本気で信じて、寄り添い援助します。そして、その援助を受けた太田先生自身が気づくことがあったのか、ひとまわり大きくなって、再び教壇に復帰することになります。高林先生の、本気で人を信じるバイタリティには、驚くばかりです。

 自ら省みて、すべての人を心から対等な人間としてみているだろうか。おとなしくて口数の少ない人や体力や気力が弱そうに見える人を軽んじていないだろうか。そういうタイプの人間として、その人に烙印を押していないだろうか。

 自分を他人と比較して卑下することもなく、驕ることもなく、人間としての可能性を信じることができれば、他の人も同じなんだと思うことができるかもしれません。

 身近にいる仲間こそ大切にしたいものですが、でも、そういう人ほどその人の「どうしようもない」ように見える欠点が目に付くことがあるものです。なかなか「言うは安く、行なうは難し」です。

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『母べえ』見ました

 吉永小百合さんから届いた年賀状に案内のあった『母べえ』、仕事の合間を縫って見てきました。家族に、それぞれ「~べえ」を付けて呼び合うなんて、はじめは違和感があってわざとらしいなどと思っていましたが、だんだん映画の中にのめり込んで、親しみのこもった感じに受け止めるようになりました。 

 当時の社会、治安維持法のもと、自分の信念を貫くことは、死をも覚悟しなければならなかった。文字どおり命がけです。父べえも結局、衰弱死かと思われますが獄死しました。あまり描かれていませんでしたが、家族も隣近所ではおそらく村八分の扱いだったに違いありません。そこを山田監督らしい柔らかいタッチで、家族愛を中心に描いていましたが、そこがまた心に染み入るところです。

 家族を愛していたのに、信念をまげて転向しさえすれば、釈放されていっしょに暮らせただろうに。父べえは良心を最後まで曲げませんでした。隣近所で監視しあって、挙国一致、国民総動員の強制。戦争に反対するものや他人と違った考え方や個性を主張するものを除外し、密告する社会。あの異常な狂気に包まれた時代を、再現してはならないと思います。

 先日、『大地の子』を読み終えましたが、戦争は人の一生も、物も破壊するだけです。何も生み出すことはありません。しかも、壊れた物は短い期間で再生することはできても、壊れた人生は作り直すことはできません。戦争による人生の破壊は、その瞬間だけでなく被爆や中国残留(放棄)孤児のように、何十年も生涯続くのですから。それをあらためて心に刻みました。

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「大丈夫。大丈夫じゃ」

 先週放送の『フルスイング』で、高林先生が、怪我をして苦境に陥った剣道部の生徒に言ったことばです。そう言ってもらったら、安心できるだろうなぁ。

 これまで、「できることはできる」、「できないことはできない」と、時には冷厳に、白黒はっきりすることが、相手にとっても、自分にとっても良いことと思ってきました。曖昧さは相手に期待をもたせて、結局、できなかった時に、大きな失望をさせることになると。

 いや、この場合、高林先生は、「なんとかなるよ」という軽い気持ちで言ったのではなく、確かな見通しと根拠を持って、最後は自分が責任をもつつもりで、「大丈夫」と言ったのかもしれません。

 人に対して「大丈夫」と言うことのできるのは、相手のことをよく見極めて、苦境にあるときにも、見通しをもつことができる人間ではないかと思います。そこまで行かなくても、少なくとも相手のことを思いやり、本気で何かをしてあげることのできる力が必要なのではないでしょうか。でもそこまで考えなくても、少しくらい大雑把でも、いいかもしれません。大事なのは、包容力ですね。

 お客さんに対して、ストレスから解放し、心を安らかにリラックスさせることで免疫力を高め、病に対する自然治癒をはかる。そういう施術者でありたい。もちろん家族に対しても・・・。これからの課題ですね。日ごろ、「ケツの穴が小さい」といわれている私にとっては、大きな課題です。

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大きな耳 小さな口 優しい目

 『フルスイング』の続きです。プロ野球の打撃コーチを30年勤め、数々の名選手を育て上げた主人公が、58歳にして高校の教師に挑戦。コーチとして選手を育てるなかでつかんだ珠玉の教訓が、教師の仕事にも生かされます。

 第一回に出てきた言葉は、「大きな耳 小さな口 優しい目」です。これは、その人が本当にやる気になるまでじっと待つ。そして、やる気を起こした瞬間を見逃さず、すぐに手を差し伸べるということだろうと思います。

 子育てでも、ともすれば「小さな耳 大きな口 険しい目」になりがち。あれこれ口やかましく言っても、相手の心に響かなければ、その場では言ったとおりに対応するかもしれませんが、身につきません。人間、押し付けられたら、いやいややるかもしれませんが、心から納得しなければ本気にはなれないし、言われた以上のことはできないでしょう。

 「大きな耳」で、相手の様子や変化をしっかり感じとる。「小さな口」で、結論を押し付けず、最小限必要なこと以外はやかましく言わない。「優しい目」で、相手を信じて待つ。いい言葉ですね。成果として実を結ぶには時間が必要でしょうが、信条のひとつにしてみたいと思います。

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夢は諦めずに、本気で頑張れば、必ず実現する

 昨夜のNHK土曜ドラマ『フルスイング』、いつも土曜日は帰宅が遅くなるので、見ることができたのは三分の一ほどでしたが、面白かったですね。これからの放送は、ビデオに録画しよう。

 「夢を諦めずに、本気で頑張れば、必ず実現する」。挫折をしても、諦めずに本気で取り組めば。いつか実現できると、主人公の高林導弘が自分の経験にもとづいて生徒を激励する。確かにそうかもしれないと感動しました。

 「若いときはそれで通用するけど、この歳じゃなぁ」と、もうひとりの自分が問いかけます。しかし、考えてみると人間というのは、年齢を障害にして現状に甘んじる傾向があるのではないでしょうか。確かに、いまさら挑戦できないこともあります。しかし、今から何年何十年経って、「あの時は、まだ若かったのに」と後悔することが、これまでの人生でもあったし、これから先もきっとあると思います。

 それよりも何よりも、今、個人として夢を持って生きているかどうか。日々の小さな目標はあるにしても、毎日あくせく生活しているだけで、将来の夢はぼんやりとしか考えていないかもしれません。それに歳を重ねてくると、自分の能力の限界や客観的な障害がよく見えてきて、どうしても小さな夢になりがちですが、それはそれとして、改めて考え直して見たいですね。

 このままでは、平坦な道ではなく、どんどん悪い方に向って終局していくような人生になりそうですから・・・。現状打開策も、将来の夢を展望して考えたい。社会の動向の影響はまともに受けますが、個人のあり方は、それとぴったり一致するわけではないので、個別の努力が必要ですし、打開する方法もあるはず。

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ちょっと踏み外せば犯罪者になりかねない世の中

 昨夜、早めに寝るつもりだったのですが、ついつい引き込まれて『女子刑務所東三号棟7』(TBS番組)を見てしまいました。シリーズ10回目らしい、以前見たことがあるかもしれませんが、今回ほど心に響くドラマは、はじめて見たような気がします。

 とてもリアリティのある設定。殺人、窃盗、放火、詐欺、自殺関与、覚せい剤などを罪を犯した人たちのドラマです。罪名だけなら自分とは関係ないように思えますが、それぞれが罪を犯すにいたった経過が短く紹介されます。

 介護、年金、家族、貧困、人間関係などの問題で窮地に陥って、ひとりでどうにもならずに罪を犯してしまう。「普通の人」は、公的・私的な援助やアドバイスを受けたりして、苦しくてもなんとか、その直前でとどまることができるのでしょうけど・・・。

 しかし、昨今の公的機関の冷たさや人間関係の希薄さをみると、その支えがなくて、いつ道を踏み外す人が出てもおかしくない世の中になってしまっている。特殊な極悪人だけが、犯罪者になるわけではない。今の日本社会の現実に、深く踏み入った内容でした。

 ドラマの中で、刑務所に慰問に来た歌手が「泣きつかれて涙が枯れたら、しゃがんでしまうけど、何べんしゃがんでも、今度こそと立ち上がってきた」と自分の体験を述べて、囚人を激励する場面がありましたが、これは心にしみましたね。

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よく分かる一番弟子草原の気持ち~「ちりとてちん」

 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に会わむとぞ思う

 落語が好きで好きでたまらないけど、上がり症のため高座で失敗して自信をなくし、16年にして断念した一番弟子の草原。いまは、ディスカウントストアに勤めていて、その仕事にはどうもみても向いているようには見えないが、それでも一定の収入を得て家族を養っている。

 そこへ草々と喜代美が来て、「もう一度落語を」と説得。はじめは生活のことを考えて渋っていた草原も、ついに妻からの励ましの言葉をもらって、復帰を決意する。

 そこで草原が高らかに詠うのが、落語の題材にもなっている宗徳院の「瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に会わむとぞ思う」という唄です。一度落語界から離れたけど、また復帰して頑張るぞという決意を込めていたようです。

 16年やってみて自分に才能がないことが分かったという草原、それに対して徒然草を引き合いに出して16年も続けられるというのは、落語が心から好きな証拠という喜代美の説得。

 草原の気持ちはよく分かるなぁ。16年やっても芽が出ない。自信がもてないでしょうね。しかも家族を養うためには、収入の不安定な落語家より、多少面白くない仕事でもしなければならない。

 本当は落語が大好きなことを知っている奥さんの後押しが、悩みぬいた草原の決意を固めさせたようです。今日の話は、自分のこれまでの人生と重ね合わせて、思わずジ~ンと来てしまいました。

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共感できる「ちりとてちん」

 NHKの連続テレビ小説「ちりとてちん」。このドラマは面白い。

 主人公の喜代美は、他人に秀でた能力や魅力をもったスパーヒロインではなく、B子としてこれまで人生の脇を歩いてきたといってもいい設定。

 登場人物も、草若、草々や小次郎のように失敗したり、屈折したところを持っている普通の人間が、描かれているのが良い。

 喜代美の同級生、魚屋の順子の、歳に似合わない悟ったようなアドバイスも、「なるほど」と思わず頷くこともあります。お母さんの糸子も、いつも楽観的で明るいですね。

 何か社会の本音が出ているようで、安心して見ることができます。いつも「ながら見」をしている連ドラですが、このたびは少し腰をいれてみようかなと思います。

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やっぱり面白くなかった「どんど晴れ」

 連ドラの「どんど晴れ」が終わりました。最終回は、もうまともに見るのも馬鹿らしくて他のことをしながらの「ながら見」でしたが、結局、「すべてめでたしめでたし、どんど晴れ」で終わったというだけで、何も心に残らないドラマでしたなぁ。

 現代的な社会情勢は随所に取り入れていましたが、流れは非現実的で、何か変だなと思うことがありました。妖怪が出てくるからではありません。

 まず、家を出て自立していた柾樹が大女将の一念で、後継者も決まっていた加賀美屋に帰って来ることになったこと。夏美がパティシエの仕事を途中で辞めてまで、女将修行をするようになったこと。従業員が秋山の甘言にのって、一気に加賀美屋を辞めることなど考えたらきりがない。

 いつも連ドラは、だいたい他のことをしながらの「ながら見」です。それでも次はどうなるのかと、はらはらして見ることもあります。「どんど晴れ」も途中、いくつかそういう場面もありましたが、はじめと終わりがどうも。特に、最終回は「なんじゃ、こりぁ!!」でした。

 「来るもの帰るが如し」、おもてなしの心を大切にする老舗旅館。お金があれば是非、行って見たいですね。でもとても、そんな高級旅館には、生涯縁がなさそうですけど。

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死ぬまで夢はどんどん見ろ

 島田洋七さんの『佐賀のがばいばあちゃん』、大ヒットですね。テレビでも『菊次郎とさき』とか『山田太郎ものがたり』など貧乏物語が、放送されています。

 景気好調と言われながら、金持ちはますます儲かり、貧乏人がどんどん増えていくという所得格差の広がりのなかで、貧乏を明るく笑い飛ばすことに共感が広がっているのではないでしょうか。

 『佐賀のがばいばあちゃん』には、興味深い言葉がたくさん出てきます。その中で、最近印象に残った言葉に、「夢は叶わなくてもええ、しょせん夢なんじゃから。だから死ぬまで夢はどんどん見ろ。人生はそれの繰り返しじゃぞ」というのがあります。

 わが身を振り返ってみて、「いま夢をみて生きているかなぁ」、「そんなに時間がないわけじゃないけど、頭の中が生活することだけで一杯になってないかなぁ」と反省することしきりです。やっぱり生きている以上、夢をもってより良い未来をめざしていきたいですね。たとえ叶わなくても・・・。

 それと「コツコツやってもなぁ、と思う前に、コツコツやれ。コツコツの先に、成功があると思うよ」というのも良いですね。カイロプラクティックも、お客様一人ひとりが相手のコツコツ「商売」です。

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過去を受け止めて、未来を切り開く意志をもって

 テレビドラマの『プロポーズ大作戦』が、終わりました。面白かったなぁ。

 今を変えるために過去へタイムスリップしてやり直すなんて、はじめは荒唐無稽な娯楽番組として、家族で気楽に見ていました。でも毎回、スリリングに、見逃がさずに・・・。

 何度過去へ戻っても、決定的な行動ができない、少し変化が起こせたかと思っても、現在に戻ってみたら何も変わっていない。結局、今の自分が過去へ戻っても、過去の自分と違うことはできない。けれども未来を変えようという意志をもって、生きることならできる。そんなことを教訓的にではなく、詩的にドラマでは表現していました。しかも、あからさまにではなく、ハッピーエンドを予感させるような結末で。

 自分の人生、振り返ってみると、良かったこともあるけど、後悔することもいっぱいあります。頑張りがきかなかったこと、逃げたこと、人を傷つけたこと、ウソをついたこと、失敗したこと、具体的に数えあげたらキリがありませんが、そういうこともすべて含めて今の自分があります。そういう過去を受け止めつつ、過去にひきづられて「人生、どうせこんなもの」と半分ふてくされて生きるより、少しでも未来を変える意志をもって生きていきたいと感じたところです。

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心から応援しきれない『どんど晴れ』

 面白いテレビドラマは、ともすれば主人公に感情移入してみてしまいます。たとえそれが犯罪者であっても・・・。

 ところが、NHKの朝ドラ『どんど晴れ』。夏美ちゃんの健気な頑張りに、ついつい応援したくなるのですが、出発点がどうもスッキリしないので、心から応援しかねています。まず最初に女将修行をはじめたキッカケです。加賀美屋の後継者については、社長と女将の長男の伸一と恵美子にすでに決まっていたのではなかったのでしょうか。それを大女将のカツノの思いつきで柾樹とその婚約者である夏美が旅館に入ることになり、夏美の女将修行がはじまります。後継者に関しては、それまで大女将の知らないところでいつの間にか決まっていたということはないよう思うのですが。柾樹と夏美はそれまでの仕事を途中で辞めてまで、なれない修行に入らなければならないのですから、相当の事情がなければならないのではないでしょうか。それに対する社長の久則、女将の環、伸一たちの立場になって考えると晴天の霹靂、人生設計を狂わせられる非常に腹立たしいことのように思えます。意地悪をしたくなるものうなずけます。

 そして加賀美屋のしきたりで旅館を辞めざるを得なくなった夏美が、2度目の修行に戻ってきたときも、何か変です。柾樹との婚約を白紙に戻して、一仲居として決意新たに女将修行をする設定になっていますが、親族経営の旅館で、一仲居が能力本位・適材適所の抜擢で女将になれるのでしょうか。「大女将や女将のようになりたいから、仲居修行からはじめる」というのは、柾樹との婚約なくしてできるんでしょうかね。

 まぁ、ドラマですから虚構の世界として、あまり現実的に考えるのは野暮かもしれませんが、夏美の女将修行の出発点での腑に落ちないところなんで、気になってしまいます。さてこれからどうなるのでしょう・・・。

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