映画・テレビ

たったひとりのゴミ拾いが行政を動かすことに

 12月8日の「たったひとりの反乱 ヘドロの干潟をよみがえらせろ」は、千葉県習志野市の谷津干潟の再生がテーマでした。ゴミがあふれ、再生不能とされて埋め立て計画が決まっていた湿地を、少年時代に遊びまわった干潟に戻したいとはじまった、ひとりの青年の孤独なゴミ拾い。その10年に渡る奮闘が、地域の住民の協力を引き出し、行政を動かすことになりました。

 もっと詳しい話が、『損保ジャパン環境財団』のサイト、「市民のための環境公開講座」に「10年ごみを拾い続けると・・・ある県議会議員の話」(2002年10月22日付総論講座)として紹介されています。

 この粘りは何なのでしょう。ひとりでゴミを拾うという、無限地獄のような作業を、よく何年も続けられたものです。トレーニング仲間に、朝昼夕と黙々とステーショナリィバイクだけを何年も漕ぎ続けている人がいますが、それに近いものを感じます。

 但し、このゴミ拾いの場合には、「日本の社会情勢は環境にシフトしていくだろう。谷津干潟を埋め立てさせないために、10、20、30年頑張ろう。前進しなくてもいい、後退しなければいい」とする先見性があったようです。

 山を歩いているとときどき見かけることがあるのですが、通りすがりの車道沿いの谷に、電気製品やバイクなどが投げ捨てられていることがあります。合わせて布や紙などのゴミも・・・。自分のことしか考えない所作に、腹立たしく思いつつも、そこが往々にして急斜面でもあり、なかなかゴミを拾おうという気持ちにはなれません。

「10年ごみを拾い続けると・・・ある県議会議員の話」

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食品偽装告発 「たったひとりの反乱」か・・・

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食品偽装告発 「たったひとりの反乱」か・・・

 12月1日にNHKで放送された「たったひとりの反乱「“食品偽装”を告発した男」」を見ました。今から2年前、2007年のミートホープ社食品偽装事件の内部告発を取り扱った番組です。事実に基づいたドラマと告発者本人へのインタビューによって構成されています。

 内部からの不正告発というのは、かなりの勇気が必要だろうということは、何となく推測できますが、この番組では、告発者のそこにいたる葛藤と社会問題化した後の苦悩が、生々しくリアルに描かれていました。

 この会社に勤めている限り、食品偽装という犯罪の片棒を担がざるを得なくなる。そういった危機意識と、社会的な制裁が加られることで、何とか真っ当な仕事をする会社に戻って欲しいという、いてもたってもおられぬ思いで告発に踏み切ったようです。

 この告発は、食品のみならずその後の消費者行政などに大きな影響を与えたました。その意味では、社会的な評価に値するものと思いますが、告発者本人にとっては、ミーとホープ社倒産による従業員の解雇や家族・親族との間にできた齟齬など、予想外の展開のため、心に深い傷を残すことになったようです。

 それにしても、支えあう仲間と信頼できる専門家がいれば、また違った展開になっていたのかもしれません。ともに立ち上がった仲間がいましたけれど、みんな脱落したのでしょうか。家族には、この大事を行なう前にはまったく話していなかったようです。「たったひとりの・・・」というタイトル、勇ましいようですが、少し気になります。

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心を大切にする仕事

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心を大切にする仕事

 NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』、これまでこの番組にはあまり関心がなかったのですが、11月17日に放送された「リハビリが人生を面白くする 作業療法士 藤原茂」は、「民間療法」と少しだけ触れ合う部分を感じたので、見ることにしました。

 世の中には、本当に素晴らしい仕事をしている人がいるものです。印象に残ったのは、「心が動けば、身体は動く」と、さまざまな道具を使って、その人のやりたいこと、楽しめることを通じて、意欲を引き出しながら、リハビリに自然につなげていく工夫をしていることです。

 また、身体の機能回復だけでなく、人生そのものを回復させることにポイントをおいていること。これは時間もかかるし、困難な仕事だと思います。でも、それが一歩でも実現できれば、どんなに嬉しいことか。障害を乗越えて生きる力を得た人が紹介されていました。

 もうひとつ、「バリアフリー」ではなくて「バリアアリー」。動きやすく移動しやすい状態というのは、安全で良い反面、障害物をよける工夫をしなくなるし、体力も使わなくなってしまいます。藤原氏の施設では、プラカードをわざと頭に当たるように垂らしたり、廊下に手すりをつけないとか、意図的にバリアーを作っていたようです。

 それにしても、人間が人間たる証としての心、これを宝物のように大切にしていることが、この仕事人のキーポイントだと思いました。テレビ番組として脚色も多少あるのかもしれませんが、良いことは学びたいものです。この考え方を、民間療法という仕事でどう活かすかということは、これからの検討課題です。

「リハビリが人生を面白くする 作業療法士 藤原茂」

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脳梗塞による障害の回復プロセスが明らかに

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ハチャメチャニセ教師の愉快な話 『School of Rock』

 バンドを首になったロック・ギタリストが、偽って友人の代わりに代用教員として小学校へ着任。そこで、まったく経験のない子供たちにロックを教えることに。やがて子供たちと心をかよわせて、ついにコンテストで演奏。大反響を引き起こします。

 何やら邦画の『スウィング・ガールズ』を思い出しますが、ロックが取り扱われているところが面白い。ロックというと大音響で叫びまくる、騒々しい音楽という印象があって、これまであまり興味を持って聞いたことがありません。

 しかし、この映画の中で、日ごろ思っていることを、ニセ教師のデューイが子供たちに歌わせる(叫ばせる)シーンがあります。学校や親から強制されていることに対する反発やいじめっ子に対する抵抗の言葉を思う存分吐き出すところは、見ていてスカッとします。

 確かに、楽器を大きな音で演奏しながら、普段なかなか言えないことを大声で叫ぶことができたら気持ち良いでしょう。ストレス解消になることは間違いなし。それを耳にする人も、その気持ちが共有できれば、気分が良いかもしれません。そうでなければやっぱり騒音ですか。

 それと、感心したのは、ニセ教師のクセに、子供たちを叱ったりせず、その良いところを見つけて、裏方も含めて演奏の適材適所に着けているところです。しかも頭ごなしでなくて、しっかり話を聞き、ときには励まして・・・。それが自然にできるというのは、やっぱり民主主義が、根付いているんですかね。これからでも、親業として、かくありたいものです。

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あまりにも悲惨な『火垂るの墓』のストーリー

 子どもの宿題につきあって、『火垂るの墓』(2005年 ドラマ版)を「You Tube」で見ました。1回分が約10分間で、16回に分かれています。スペイン語の字幕があったり、画像より少し遅れて声が出たりしますが、フルスクリーンモードにしても十分見ることができます。http://jp.youtube.com/watch?v=qsYGdbLJbgQ&feature=related

 2005年にテレビで見たことがあったかもしれませんが、何度見ても心打たれるストーリーです。それにしても、あまりにも悲惨すぎて、いくら戦争の非常時とはいえ、あんなことが起こり得たのでしょうか。

 冷静に考えてみれば、「地域には隣組などのような相互監視・互助組織があったのに?」とか、少し辻褄が合わないのではと思えるところもありますが、今のように曲がりなりにも基本的人権を保障している憲法さえもなかった時代だったと考えると、あながち誇張されているとも言えないような気がします。

 食べるものは配給制で、戦争末期にはドラマのように具の少ない粥やスイトンをすすっていたという状況。多くの兵士が戦地で死に、都市部の非戦闘員まで空襲で死んだのですから、戦争孤児もたくさんできたことでしょう。

 それに、先の戦争は、「アジア解放」という名目で、日本から、朝鮮、中国、東南アジアなどに攻め入って、2000万人もの殺戮をおこなったと聞いています。兵士の命も鴻毛よりも軽いと言うほど、人間の命を大切にしない時期ですから、子どもの一人や二人が餓死したところで、ひょっとしたらあまり痛みを感じることはなかったのかもしれません。

 『火垂るの墓』の物語そのものには、淡々と戦時中の日常的(とはいっても非日常的)な生活を描いているだけで、あまり強い「反戦」のメッセージはないようです。でも、エンディングテーマがながれる時に、清太と節子の写真とイラクの子どもたちの写真が交互に映し出されますが、その笑顔がとても痛々しく、印象に残ります。

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結構面白かった『鹿男あをによし』

 人間の言葉をしゃべる鹿、狐、鼠。しかも鯰が大地震をおこすなんて、何と荒唐無稽、リアリティのないこと。主人公の小川先生に扮している玉木宏の人気に便乗した、メリハリのないつまらん番組。

 夜10時から放送するような番組じゃなかろう。子どもが見る7時くらいからの時間帯こそ、ふさわしい。番組がはじまって、当分の間そう思っていました。ですから、子どもが見ているのを横目に寝床に入ったりして、まともに見ていませんでした。

 ところが、大和杯での優勝盾をめぐる剣道での攻防戦、堀田イトの活躍が、私の興味に火をつけました。三角縁神獣鏡をめぐる争奪のたたかいも、面白かった。ここは人物描写に、とてもリアリティがあったと思います。特に考古学研究者である小治田教頭の個人的野望。

 物語の中に入り込んでしまって、設定の荒唐無稽さも気にならなくなり、次回を楽しみ待つようになってしまいました。考えてみると小川先生の弱々しさと生真面目さにも、好感が持てたなぁ。ほんわかムードの藤原先生もいいですね。実を言うと、強い意志が見える堀田イトの隠れファンなんです。

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日常生活でよく陥る「はてなの茶碗」現象

 『ちりとてちん』で「はてなの茶碗」という話が出ていました。話の本質は、権威ある人がすることなすことは、本人にとっては何気ないことでも、とんでもない価値があるように勘違いされることがあるということだろうと思います。

 話の中では、実際に何の変哲もない水漏れ茶碗に千両の値段がつくのだそうです。「はてなの茶碗」全体を聞いたことがないので、断言はできませんが・・・。それは落語として、話を面白くするための付けたしでしょう。

 しかし、これは日常生活でもよく体験することではないですか。たとえば、若い頃に何か習い事をしていたとき、先生の一言一句に一喜一憂したことはないですか。コマーシャルで、人気のある俳優や歌手などのスターを使うのも、そういう心理をついた作戦でしょう。

 「あの人が言うのだたら」とか「使ってるのだったら」、「カッコいいから」とか、製品のイメージが良くなることを狙っているようです。「はてなの茶碗」のように、トントン拍子にうまく行けば良いのですが、その製品やサービスのイメージがほんものかどうかは、使ってみればすぐに実証できるのではないでしょうか。 

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「氣力」 諦めない気持ち

 フルスイングの最終回、たまたま都合がついたので、ビデオでななく全国放送の時間に見ることができました。はじめから「泣き」にかかるドラマ展開が、少し気になりましたが、高林先生は最後まで迫力がありましたね。

 最後のホームルームで生徒に放った激励の言葉は、「氣力」でした。「気」ではなく「氣」です。高林先生曰く、「諦めん気持ちこそ、氣力といいたい。9回裏ツーアウト、ランナーなしでも、何点離されていても、諦めない気持ちが氣力じゃ」。

 野球に限らず競技をする場合、いくら諦めずに頑張っても、勝つ方があれば必ず負ける方があります。例外的に、引き分けることもあるでしょうが・・・。高林先生も、結局、すい臓癌に負けて亡くなってしまいます。

 しかし、たとえ負けるにしても、最後まで気を抜かず、諦めずに、智恵と力を尽くして闘えと言いたかったのだと思います。負けたとしても、もうダメだと、途中で諦めて力を抜いてしまうのか、最後まで持てる力を振り絞って挑戦するのかでは、後に残るものが違うでしょう。最後の土壇場での氣力、スポーツマンらしいアドバイスです。

 ただ、人生にあてはめてみると、そう単純ではないような気がします。苦しいときには無理をせず、撤退することが必要なときもあるのではないでしょうか。夢にしても、生きているうちに興味も変わり、能力の限界を知ることもあり、経済的な問題にぶち当たったり、生涯同じ夢を持ち続けられるわけではないでしょう。いろいろ考えさせられますね。

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他人を軽んずることはないだろうか

 「フルスイング」第4回。ようやくビデオで見ることができました。テーマは「キャッチ」でした。それはそれで、涙が出るほど感動的でしたが、もうひとつ、心に残ったことがあります。

 それは、英語の太田先生が登校拒否になって、職員室で「教師不適格者論」が出たときだと思いますが、時任先生が「私もあの人を軽く見ていました」と告白する場面です。

 高林先生は、太田先生の教師としての可能性を本気で信じて、寄り添い援助します。そして、その援助を受けた太田先生自身が気づくことがあったのか、ひとまわり大きくなって、再び教壇に復帰することになります。高林先生の、本気で人を信じるバイタリティには、驚くばかりです。

 自ら省みて、すべての人を心から対等な人間としてみているだろうか。おとなしくて口数の少ない人や体力や気力が弱そうに見える人を軽んじていないだろうか。そういうタイプの人間として、その人に烙印を押していないだろうか。

 自分を他人と比較して卑下することもなく、驕ることもなく、人間としての可能性を信じることができれば、他の人も同じなんだと思うことができるかもしれません。

 身近にいる仲間こそ大切にしたいものですが、でも、そういう人ほどその人の「どうしようもない」ように見える欠点が目に付くことがあるものです。なかなか「言うは安く、行なうは難し」です。

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『母べえ』見ました

 吉永小百合さんから届いた年賀状に案内のあった『母べえ』、仕事の合間を縫って見てきました。家族に、それぞれ「~べえ」を付けて呼び合うなんて、はじめは違和感があってわざとらしいなどと思っていましたが、だんだん映画の中にのめり込んで、親しみのこもった感じに受け止めるようになりました。 

 当時の社会、治安維持法のもと、自分の信念を貫くことは、死をも覚悟しなければならなかった。文字どおり命がけです。父べえも結局、衰弱死かと思われますが獄死しました。あまり描かれていませんでしたが、家族も隣近所ではおそらく村八分の扱いだったに違いありません。そこを山田監督らしい柔らかいタッチで、家族愛を中心に描いていましたが、そこがまた心に染み入るところです。

 家族を愛していたのに、信念をまげて転向しさえすれば、釈放されていっしょに暮らせただろうに。父べえは良心を最後まで曲げませんでした。隣近所で監視しあって、挙国一致、国民総動員の強制。戦争に反対するものや他人と違った考え方や個性を主張するものを除外し、密告する社会。あの異常な狂気に包まれた時代を、再現してはならないと思います。

 先日、『大地の子』を読み終えましたが、戦争は人の一生も、物も破壊するだけです。何も生み出すことはありません。しかも、壊れた物は短い期間で再生することはできても、壊れた人生は作り直すことはできません。戦争による人生の破壊は、その瞬間だけでなく被爆や中国残留(放棄)孤児のように、何十年も生涯続くのですから。それをあらためて心に刻みました。

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